2016年1月1日金曜日

新しい出会いを楽しみに

 新しい年があけました。本年もパソコンいわくら教室をよろしくおねがいします。最近は土曜日しか教室にいけないので、来ていただいているみなさんにお会いできるわけではないのですが、予約表のお名前を見ながらみなさんが挑戦されていることを想像して、一人「ニンマリ」思いを膨らましています。私のこともこのコラムを通して知ってもらい、いつかお会いできる時があったら、「あ、あの食いしん坊のサトさん」と思ってもらえれば嬉しいです。
 さて、新年にあたり、昨年のことを振り返って心にうかぶことの一つに、「出会い」があります。古い友人から新しく知り合えた方々までさまざま。幼稚園からの幼馴染、学生時代の親友、仕事を通じて知りあえた若い方や先輩世代の方々。本当に大切で有意義な時間を過ごせた一年というのが印象です。年齢の上下に関係なく、自分の思いを聞いてもらい、共有してくれる人がいるとことに、心から感謝できた一年でした。
 先日友人から公開中の映画「海南1890」の話を聞きました。
和歌山県串本沖で1890年に沈没したトルコ軍船の海難事故。暴風雨の中、懸命に救助にあたったのは近隣の村民たち。異国の人々を救った献身はトルコで今なお語りつたえられていて、後のイラン・イラク戦争の際、戦渦に巻き込まれイランに取り残された日本人を、「かつての恩返し」と、トルコの救援機が救ったという内容。人間の真心が、約百年後に国をも動かす力につながったことに感動したと話していました。是非私も見に行こうと思います。
 こんな大きな出来事はそうそうないでしょうが、知り合えた今までの友人を大切に、新しい出会いも楽しみに、今年も誠実に友情を育みたいと思っています。どうぞよろしくお願いします。

さとさん

やはり時間は早かった

 このコラムを書き出して1年が経ちました。他愛もないお話しに付き合っていただきまして、ありがとうございます。今年もこのコラム、よろしくお願いいたします。
 昨年5月の新聞に書きましたが、記憶を細密にして時間の感覚を遅くしよう、と言う内容のお話。
 時間が早く感じる要因は、①2歳の子には1年は人生の半分ですが、60歳の人には1年は60分の1しかない、と言う感覚、②子供の時よりも行事の数が極端に少なくなっている事実(記憶に残る特別なことが少なくなっている)、などあるようです。①はどうにもなりませんが、②を補うには、「記憶を細密に」という事で解決しそうでした。
 昨年は、なるべくそれを実践しようと、週末には活発に動き回ったりしましたが、どうも感覚はあまり変わらず時間の感覚は早いままです。
 どういうことでしょうか?この感覚はもうこのままなのでしょうか? …こう考えてみました。
 週末以外はやはり仕事の毎日で、相変わらずの日常です。この状態ではいくら頑張っても、週1日・2日しか自由になる時間はありません。どう見積もっても昔の6分の1・7分の1です。自由な時間が1年で60日くらいしかない勘定になり、時間の過ぎる感覚は6倍、7倍になります。学校時代は勉強はしていた(ほんまか?)ものの、ほぼ1年間が自由時間だったようなものでした。どうりで時間の過ぎるのが早いはず、そんな結論に達しました。乱暴な解釈ですね。(要は仕事嫌いで怠けてたいだけかもしれません、恐らくこれが原因ですね。)
 完全に仕事からリタイアして、この感覚がどうなるのかが楽しみです。もし感覚が変わらなければ、きっと本当に時間が早くなっているのでしょう。それは、子供から大人になったとき、別の世界(パラレルワールド)へいつの間にか移り、同じ場所にいながら時間の感覚が違う世界でそれぞれ存在しているのでしょう…。
 さて、今年はどんな年になりますか。よろしくお願いいたします。

たかさん