2023年2月1日水曜日

餅を食らう!

 こんにちは。いきなりですがみなさん、お餅食べきりましたか。いまどきはお正月でもお店は営業してくれているので、たくさん準備しておく必要もないし余ることも少ないかな。お餅は大好きですが、年齢とともにたくさんは食べられなくなってしまいました。小袋で食べきれる量だけ買っているので余ることはそんなにないですが、残ったお餅はどうされていますか。
 昔は年末にはおばあちゃんちで親戚一同集まってお正月用のお餅つきをしていました。つきたてのお餅はほんとに美味しくてなんぼでも食べられるし、丸めるのも楽しいし。おばあちゃんがつきあがったお餅をとっても素早く均一な量で、片手で餅をキュッと絞って切り離す手さばきが神業で、もう釘付けでした。
 もう一つ心に刺さっているのは、お餅つきでおじさんの順番のとき、おばあちゃんの長男にあたる人ですが、お餅を返す担当?(杵をあげているタイミングに合いの手とともに水をつけたり返したりするやつです)をしていたおばちゃんの側頭になんと杵が当たったのか、おばあちゃん頭から血を流して…みたいな映像が残っています。救急車とかそのあと入院とかの記憶がないのですが。母に聞いても「あーそんなこともあったなぁ」って。へ、そんな程度なん?今思うとばあちゃんスゲェですね。そのあとも99歳と半年まで長生きしたばあちゃんは偉大ですね。

 と、話はそれていまいました。余ったお餅に使い道の話をと思っていたのですが。こないだ知人に聞いたのは、お餅を薄ーくスライスして、大根おろしで煮るのだそう。餅が溶けてトローリあったまる大根おろしスープになるらしいです。おなかにも優しそう。ほかにもお餅の変わった食べ方あったら教えてくださいね!

よる年には勝てん…

 先日、あるイベントに参加しまして、その結果足腰がボロボロ…そんな一席を。
 ときは天正10年、本能寺の変を受けた天下分け目の「天王山の戦い(山崎合戦)」。破れた明智光秀は坂本城へ逃れるます。が、道中落ち武者狩りにより山科あたりで落命した。そう伝えられます。
 その逃走ルートを実際に歩いてみる、というイベントに参加しました。
 長岡京の「勝龍寺城」をスタートし、ゴールは光秀が討たれたとされる地点、山科の「明智藪」までのなんと13キロ。工程にして約5時間ほど。普段からよく歩くほうなので、距離的にはそんなに心配はしていませんでした。ところが…
 参加者は小学生の親子連れから女性まで様々。この手のイベントには数回参加ししている方も。
 まずは中間地点の幕末の鳥羽・伏見の戦いの舞台にもなった「鳥羽離宮跡(今は公園に整備されてる)」を目指します。当時のルートといっても、ときは今。田畑の真ん中や住宅街、普段ならなんの変哲もない生活道路です。が、説明を聞きながら歩いていると、少しはそんな気分になってくる。(ほんまかいな?)
 今でも当時のままの道の様子を残す「久我縄手」という道、不自然に田んぼや住宅街を一直線に突っ切っています。今も跡がそのままというのも驚きです。(当時はもっと広かったらしい)

 鳥羽離宮跡に着くとお昼休憩。まだ行程の半分、まだまだ余力はありそうだった。再びゴールに向けて歩き出す。まぁ、武将はよくも甲冑をつけて歩いたりしたもんやなと、改めて関心。と思うもつかの間、山科へは墨染の峠を超える必要があります。だんだんと上り坂になっていき、下半身が怪しくなってきます。それでも小学生はまだ走る余力も持ち合わせており「さすが若モン…」と関心しきり。明智藪に着く頃は、もう足腰が、特に膝がもうあきません。当然翌日はグロッキーでした。面白いイベントでしたが、また参加するかと言われたら、う〜ん微妙…