2021年6月1日火曜日

京都弁の話その2

 「行けたら、行くわ」、一度は使こたことのある言葉ではないでしょうか。さて、この言葉の持つ意味は殆どの場合「行きません」ですね。普通に考えれば「行けたら」は「行けることが可能なのであれば」という意味ですよね。「行くわ」は「行きます」になるので、行く可能性は今のところ半々といったところでしょうか。でも、コレはほぼ来ないですよね。
 「考えときます」、コレもその場の言い逃れ。絶対考えないやつです。「まぁ、考えときまひょ」なんて言われて、返事待ってても絶対来ないですね。
きっぱり断るより、やんわりした言い回しの気配りだったり、本音と建前を上手に使った言葉文化なのでしょう。悪ガキを見て「元気なお子さん」なんて言うのと同じでしょうか。
間違うてるかもしれんけど堪忍やで、というような意味で、最後に「知らんけど」。
 「嘘やん!」話の相槌でよく使いますが、否定しているわけではなく、どちらか言うと感心していますね。
 「あほ、ぼけ、かす」って言われるより、「おもんないな」なんて言われたひにゃ、死刑宣告に等しいですね。

 昔、なんか言ってしまったことで、救急車のサイレンが聞こえたとき「迎えに来たで」、精神異常の救急搬送からくる、からかいだったんでしょうが、救急搬送なんて怪我や急病が大半、なぜだったのか不明ですね。聞こえたらそう言うってお約束みたいなもんでしたが。
 普段なにげに聞き、話している関西弁や京都弁、考えれば奥が深いですね。くれぐれも真似して、エセ関西弁を話さないように地方のお知り合いに忠告を。間違えると大変です。
 京都弁で「おおきに、ありがとさんどす」、これは信じていいのか悪いのか。一番難解な言葉かもしれません。

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