最近目にした記事。ある小学生が宿題で日記を書いていた。父親が内容を見ると一緒に出かけたはずの日に、全く別の行動が書いてある。不思議に思ってたずねると、これは「他人日記」で、友達の日記をその友達になったつもりで書くという宿題だと。
例えば、公園に遊びに行った友達が、誰と行って何を思ったか、どんな遊具が好きかなど、自分なりに想像を膨らませて綴っていくという作業。直接友達から聞いたことも含め、友達の行動を思う中で、長所に気付いたり、自分と共通する部分を発見したりする。教科書の文字で同じことを読むより、実際の友達のことを思いながら考えるという、よりリアルな感覚がとても大事な体験だなと思いました。
ひと昔前に、K・Y(空気がよめない)という言葉が流行りました。他者の気持ちを想いはかることを大切にしてきた、日本文化ならではです。「空気を読む」その時の多勢の思惑とか雰囲気を察知することを求められる言葉で、場違いな行動を嫌悪する表現です。周りと違う事をすると悪目立ちしてしまうからです。
何時でも自由に自分の考えや感情を言葉にして表現する外国人の方からすれば、なんと高度な技術でしょうか。少数派や他との違いを柔軟に、逆に良しとして受容する外国人の友人とは、あれこれ考えて思い悩んでいるより、ストレートに言葉にする方が関係は上手くいきます。でも、相手の気持ちを考えて発せられた言葉は、何気ない一言であっても心に響くものだと私は感じています。
人の心は常に変化しているもの。先の小学生の宿題のように、空気でなく、その時、瞬間の相手の気持ちを読む日本の文化を大切に、少数派も堂々と生きていける世界になればいいな、と思うサトです。
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